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2015年03月04日 更新

市長コラム第54回 私の「自画像」観

 吉田小学校の卒業記念の「自画像」制作が、このたび100周年を迎えられました。大正2年(1913年)、大正デモクラシーの最中に卒業記念としてスタートした「自画像」であります。それからの100年間は、戦争・高度経済成長・バブルという激変する時代でありました。

 この間「自画像」を継続して来られました、関係者の皆様に深く感謝と敬意を表したいと思います。

 文献によりますと、「自画像」の歴史は、古代エジプトの壁画やギリシャのアンフォラ(壺)の絵柄として、描かれていたと言われています。私は、「自画像」制作で、自分の姿を残す事により、後世に自分の存在を認めて頂く絶好の手法であると思いますが、むしろ吉田小学校の「自画像」は、自分自身が後世において人生を振り返り、今の自分に勇気と希望を与えてくれる大切なものと考えています。私も人生の節目や課題を抱えた時には、吉田小学校に行き、自分の描いた「自画像」を見て、当時の時代背景を思い出し、勇気づけられています。

 私は、昭和31年に吉田小学校を卒業する際、「自画像」を描きました。「自画像」と一緒に「将来の自分は何に(職業)なりたいか」という希望も書きました。当時の右肩上がりの世代を反映し、「貿易商人(バイヤー)」と書いた記憶があります。私が「自画像」を描いた昭和31年は、神武景気から始まった高度経済成長時代(岩戸景気・オリンピック景気・いざなぎ景気)の始まりであったと思います。名目経済成長率は、15%で世界第一位(二位のドイツは10%)でした。GNP(国民総生産)は、70兆円で世界第二位(一位のアメリカは350兆円)でありました。

 当時、私が住んでいた吉田町は、高級な電化製品として、白黒のテレビや炊飯器が発売されていましたが、一般家庭には普及していなかったと思います。勿論私の家にはテレビはありませんでした。電機屋さんの前で、人だかりの中、大相撲を観戦した記憶があります。夏になるとアイスキャンデーを自転車で売っていました。チリン・チリンと鳴る音が聞こえて来ると、自転車が近づいてきた事を知らせます。のどかな田舎の風物詩であったと思います。石原裕次郎がデビューし大スターとして活躍、フラフープが大流行した年でもありました。また、吉田小学校では、「学校給食」が始まりました。脱脂粉乳が苦手でビンに入れて持ち帰っていた事を覚えています。

 私は「自画像」を通じて31年代の回想が蘇りました。人それぞれかもしれませんが、私は、自分の生きてきた背景や事実を大切にし、今後の人生に取り組んで行きたいという気持ちになりました。「自画像」に限らず、自分の生きざまを様々な形でしるすことは、大変重要な事と思います。時代を通して、今の生き方を検証する事は、将来大きなプラスとなって帰って来ると思っております。

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