清神社(吉田町)
郡山山麓にあり、郡山築城以前から祇園社として存在していました。正中2年(1325)以後の棟札が全て現存し、社宝も多くあります。郡山の鎮守社として戦国時代には毛利氏に篤く信仰されました。現在の社殿は元禄7年(1694)建立のもので、境内にそびえる老杉は樹齢700年以上ともいわれています。5月5日の例祭は、「吉田の市入り」として、またJリーグサンフレッチェ広島の必勝祈願所としても有名です。
数百年を経た老杉が高くそびえる中に、入母屋造、平入、千鳥破風、軒唐破風付の大型の本殿があります。祭神は、本殿に素盞鳴尊(すさのうのみこと)、相殿に足摩乳(あしなづち)、手摩乳(てなづち)、稲田姫をはじめ五男三女神をまつっています。
また、吉田の地を素盞鳴尊(すさのうのみこと)の八岐大蛇(やまたのおろち)退治、伝説の地とする説があります。
日本書紀神代巻の一書に
「是の時に素盞鳴尊安芸国の可愛の川の上に下到ります彼処に神あり」云々
とあり、可愛の2字を”エ”と読ませています。吉田を流れる川を可愛川(えのかわ)といい下流を江の川ということから、”安芸国の可愛の川の上”とあるのは、この地方であるといわれています。また、可愛川に流れ入る多治比川は旧名を稲田川ということや、橋も稲田橋ということなどから当社は神代からの鎮座ともいわれています。
指定年月日:昭和43年9月1日 所在地:吉田町吉田