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末兼隆忠夫妻の墓(甲田町)
宍戸元源の次男で、甲立村末兼に住み末兼と称したといわれています。
甥の隆家が幼少であり、代って善政をなしましたが、天文2年(1533)隆忠24歳の時に奸臣のざん訴により隆家が暗殺したと伝わっています。
後に隆家はその祟りを恐れ、隆忠を剣大明神(現宍戸大明神)として祀りました。
墓所は、理窓院の裏手に伝わっています。
指定年月日:昭和44年4月
所 在 地:甲田町下甲立
宍戸元源の次男で、甲立村末兼に住み末兼と称したといわれています。
甥の隆家が幼少であり、代って善政をなしましたが、天文2年(1533)隆忠24歳の時に奸臣のざん訴により隆家が暗殺したと伝わっています。
後に隆家はその祟りを恐れ、隆忠を剣大明神(現宍戸大明神)として祀りました。
墓所は、理窓院の裏手に伝わっています。
指定年月日:昭和44年4月
所 在 地:甲田町下甲立