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宍戸元源の墓(甲田町)
有力国人であった宍戸氏は、所領を接する毛利氏と争いが絶えませんでした。しかし当主元源(もとよし)は毛利元就と婚姻関係によって和睦することを決め、孫の隆家に元就の長女が嫁ぎ、同盟関係となりました。以後、宍戸氏は毛利氏一門として重要な存在となります。元源は天文11年(1542)に没し、墓は五龍城の向かいの山、菩提寺理窓院の南東側にあります。
指定年月日:昭和44年4月
所 在 地:甲田町下甲立
有力国人であった宍戸氏は、所領を接する毛利氏と争いが絶えませんでした。しかし当主元源(もとよし)は毛利元就と婚姻関係によって和睦することを決め、孫の隆家に元就の長女が嫁ぎ、同盟関係となりました。以後、宍戸氏は毛利氏一門として重要な存在となります。元源は天文11年(1542)に没し、墓は五龍城の向かいの山、菩提寺理窓院の南東側にあります。
指定年月日:昭和44年4月
所 在 地:甲田町下甲立