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清源城跡(甲田町)
別名「門田城」と呼ばれ、城主とされる麻原氏が後に改名し門田と称したことに由来しますが、江戸時代以降は清源という地名で伝わっています。
麻原氏は、毛利元春の三男広内を租とし、明徳3年(1392)に広内は家督を嫡子弘親に譲りました。弘親はのち長禄4年(1460)に麻原郷をあてがわれ麻原を姓しました。その後、河内守元久のときに門田山に山城を築き住んだため、麻原を改め門田氏を称しました。以後、門田和泉守元忠および但馬守元実らがいましたが、のちに長州に移りました。今も郭や切岸など遺構がよく残っています。
指定年月日:昭和44年4月
所 在 地:甲田町下小原