ここから本文
西本屋武一郎の墓(八千代町)
明治4年(1871)、廃藩置県に伴う前広島藩主浅野長訓(ながみち)の東京移住を引き止めようとして、大規模な百姓一揆にまで発展した事件″武一騒動″。山県郡有田村出身の西本屋武一郎(山県武一ともいう)は、農民達が県庁に提出した嘆願書の起草者となっていたため、騒動の首謀者とみなされ処刑されました。妻の縁で葬られたといわれる武一郎の墓が、八千代町勝田専念寺近くの山麓にあります。
指定年月日:昭和46年4月20日 所在地:八千代町勝田
明治4年(1871)、廃藩置県に伴う前広島藩主浅野長訓(ながみち)の東京移住を引き止めようとして、大規模な百姓一揆にまで発展した事件″武一騒動″。山県郡有田村出身の西本屋武一郎(山県武一ともいう)は、農民達が県庁に提出した嘆願書の起草者となっていたため、騒動の首謀者とみなされ処刑されました。妻の縁で葬られたといわれる武一郎の墓が、八千代町勝田専念寺近くの山麓にあります。
指定年月日:昭和46年4月20日 所在地:八千代町勝田