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仁後城

 生田川に沿った丘陵上に築かれ、尼子城との別名もあります。城主は不明ですが、永禄6年(1563)、毛利隆元が和智誠春の饗応を受けた直後に佐々部で急死したことから、逝去の地にほど近いここが和智氏の城であったとする説もあります。城跡は複雑で細かな構造で、特に竪堀と堀切の多用が顕著です。近隣の牛首城と並び、この地域では突出して軍事性の強い構造の城です。

 

指定年月日:昭和61年2月7日  所在地:高宮町船木

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