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毛利師親(後に元春):1323~不詳が、観応年間(1350年頃)相模国宮崎より勧請した八幡宮と伝わり、その後毛利氏の氏神として崇敬されました。
 社殿は大永3年(1523)元綱反乱のとき兵火で焼かれ、また、天文10年(1541)1月13日、毛利・尼子の郡山合戦に尼子の陣地となり、激戦となりましたが、永禄11年(1568)毛利元就によって再建、その後も毛利氏により修理再造されました。
 師親が石見国佐波善四郎を攻めるとき先陣をうけたまわり、江の川を渡ったとき鐙石の奇瑞で大攻をたて、当社を勧請するゆえんとなったといわれています。鐙石は「川通り餅由来の石」として有名で、社宝として今に伝えられています。

 

指定年月日:昭和43年9月1日  

所 在 地:吉田町相合

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