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犬飼平古戦場(甲田町)
天文9年(1540)6月山陰の雄尼子氏が三次路より、吉田郡山の毛利攻めの途中祝屋城に来攻したおり、深瀬隆兼・隆家はこの地で尼子軍を迎撃奇策を持って撃退したと伝えられる古戦場。
しかし、この合戦に関する感状などの一次史料は存在せず、合戦そのものの真偽が不明となっています。
のちに天明4年(1784)、それまで難所であった山裾の道を治右衛門が工事し広げたと伝わっています。
指定年月日:昭和44年4月 所在地:甲田町深瀬
天文9年(1540)6月山陰の雄尼子氏が三次路より、吉田郡山の毛利攻めの途中祝屋城に来攻したおり、深瀬隆兼・隆家はこの地で尼子軍を迎撃奇策を持って撃退したと伝えられる古戦場。
しかし、この合戦に関する感状などの一次史料は存在せず、合戦そのものの真偽が不明となっています。
のちに天明4年(1784)、それまで難所であった山裾の道を治右衛門が工事し広げたと伝わっています。
指定年月日:昭和44年4月 所在地:甲田町深瀬