ここから本文
2024年05月09日 更新
滄浪園(八千代町)
京都の庭師清水七郎右衛門の指導を得て造庭。
※現在は隣接する土師民俗資料館とともに非公開となっております。
ひとこと
「江戸時代の豪農沖野屋(岡崎家)の庭園で、錦字池(きんじいけ)を中心に、北東に為春亭(いしゅんてい)など四つのあずまやを配し、池を隔てた南、西の二方に築山を作り、石を積み、枯れ滝を落としている。
マツ、ウメ、カキツバタモミジ、モミなど春夏秋冬の樹木も植えられ、橋をわたし、指月松(しげつしょう)、石蓬莱(せきほうらい)などの名木、奇石が配してあった。・・・石組、池などはなおよく往時の結構を伝えている。」
(1957年広島県教育委員会により名勝に指定されたときの説明文)
広島県下に残存する数少ない古庭園のひとつとして貴重な文化遺産であったが、土師ダム建設のため、土師民俗資料館の前庭に移転。
1971年県名勝の指定を解除された。