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清神社棟札附在銘連子窓断片(吉田町)

 清神社にあり、正中2年(1325)以来今日までの棟札を完全に保存しています。正中2年(1325)のものには「奉造工祇園祟道棟上事、右意趣者上御本家並信心 施主正中二天乙丑七月三日 大工 平 正重」とあります。長さ82cm、幅8.5cm、次に応永7年(1400)、文明11年(1479)、明応3年(1494)、明応9年(1500)、永正7年(1510)、大永2年(1522)、天文2年(1533)、天文17年(1548)、永禄11年(1568)、天正11年(1583)、文録5年(1596)の12枚は鎌倉時代末から桃山時代末までのもので大部分毛利氏時代のものです。ついで浅野氏時代のもの4枚があります。それらは浅野長晟時代の元和7年(1621)と寛永6年(1629)光晟の時の寛文6年(1666)の3回にわたって大修理を加え、綱長のとき、元禄7年(1694)になって新築したのが現在の社殿です。
 全国で現存最古の棟札は能登国熊甲阿良加志比古神社の弘安6年(1283)の棟札で、以後室町江戸時代を通じて歴代のものが全部ととのっていますが、清神社のものは古さと完全にそろっていることで全国第3位に当たっています。
 在銘連子窓断片は、清神社に伝わり、神社の明取りの格子に似ているため、『よしだめぐり』には格子と書いてあります。長方形の枠に菱形の木が並べて嵌めこまれ、左枠を欠いています。この下枠に記された墨書で、元亀3年(1572)3月、京都の吉田神主ト部兼右が参籠したこと、天正4年(1576)年には、前関白九条稙通が当社で民衆を前に源氏物語の講釈を行なったことがわかります。

 

昭和50年9月広島県の文化財に指定

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