多治比日南観音堂は毛利元就の室が創建したと伝えられる蓮照山光明寺の後進です。その後、観音堂のみを残すだけとなりました。
観音堂は18世紀中ごろに再建されたものですが、その中には創建当初と考えられるこの厨子が安置されていました。
この厨子は木鼻や唐草文様(上部は剥落)に特徴があり、網目文様から毛利元就の家臣であった宮島大工・佐伯源左衛門尉一派が制作したと考えられています。
ぜひご覧ください。
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